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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

♪ライブが終われば ~1991年4月その2~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1991年、私は「伊太地山伝兵衛商会」と云うバンドに参加していた。

 

1991年4月10日 横浜バディ
                  26日 高円寺稲生座
小さな店の定期ライブだね。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

4月は翌月の関西ツアーのリハーサルを兼ねたライブをやっていた。
伝兵衛さんは、このツアーの為に新曲を用意していた。
曲名は「ライブが終われば」だ。
今までは、盛り上がる「日の出ブルース」をライブの最後の曲にしていた。
その後で、ライブのエンディングにしっとりと終わる曲として考えた曲だ。

歌詞の内容は、
一期一会のお客さんとの出会いを大切にして、音を土産に次の街に旅立っていくバンドマンの心境を歌っている。
恒ちゃんの切ないギターもフューチャーされている曲だ。

しかし、今だから言えるが、間奏部分がジャーニーのオープンアームズの間奏に似ているな、なんて思っていた。
なにせ、伝兵衛さんは、隠れハードロッカーだったから。
(伝兵衛さんの実家には、レッド・ツェッペリンのレコードが全部あった)

次の関西ツアーは、毎日休みなしでライブが続く。
「ライブが終われば」すぐに、次の街に旅立って行く。
まさにこの歌の通りとなったのであった。


ーつづくー