EGGMANフォークナイト ~1991年1月その2~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1991年、私は「P-MACHINE」と「伊太地山伝兵衛商会」を掛け持ちして活動していた。
1991年1月12日 EGGMANオールナイト
EGGMANのフォークナイトだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
澁谷EGGMANのオールナイトライブに出演した。
フォークやブルースの大御所たちが集まったライブだった。
高田渡、中川イサト、有山じゅんじ、西岡恭蔵、大塚まさじ、下田逸郎、等等、そして伊太地山伝兵衛商会。
この時は、パールのプレジデントの三点セットを持って行ったのを覚えている。
何故なら、他の出演者は皆アコースティックで、ドラムがいなかったからである。
伝兵衛商会は、若手の下っ端なので、早い時間に出演した。
後は、客席で大御所たちのステージを見ていた。
西岡恭蔵さんと大塚まさじさんは、ディランⅡとして、「プカプカ」や「コーヒールンバ」を演った。
有山じゅんじさんの時に、正木五郎さんと藤井裕さんのリズムセクションが飛び入りして、何曲か演った。
サウスツーサウスのリズムセクションの正木五郎さんと藤井裕さんとは面識があり、親しくしてもらっていた。
ライブ後に五郎さんと、パールのドラム談義をしたので覚えているのである。
パールのモニターであっても、ランクがあって、俺なんかスティックも貰えずに、割引で買ってんねん。
なんて話をしたかな。
夜中に、高田渡大先生が登場。
「自転車にのって」
を熱演された。
コミカルでとぼけたMCも大うけで、出演時間の半分は話をされていた。
ある曲では、曲の途中のブレークがあまりにも長過ぎて、寝ていたのではないか?
と疑われる場面もあった。
しかし、この時感じたのは、大御所たちの音への真剣さだった。
いつもはニコニコしている親父たちは、リハーサルになると人が変わった様に神経質になる。
納得するまで音を作って、本番ではゆるいステージを演って行くのだ。
長年歌で食ってきた、プロの凄さを知った。
ーつづくー