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酒飲み親父の自分史 「昔ロックしてた俺へ」

酒飲み親父が昔の手帳を見て半生を振り返るブログ

原宿セントラルアパート ~1988年5月その3~

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新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・

昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。

あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。

さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。

1988年、私は就職して3年で退社、仕事もせずに新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃はMGと言うバンドに参加していた。

 

1988年 5月13日 渋谷職安
会社を辞めて失業保険を受ける為に職安へ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。

俺は、この年の3月31日付けで会社を辞めていた。
この日は、初めて失業保険を受ける為に渋谷の職安に行った。
この頃俺は仕事もせずに、貯金で食っていた。

バスで渋谷公会堂まで行く。
渋谷の職安は公会堂から代々木体育館に下る道の途中にある。
古ぼけた白い建物だった。
中に入って会社で貰った離職票を片手に椅子に座る。
離職票の番号ごと座る場所が決められていた。
結構人が居たような記憶がある。
受付が終わってこの日は終了。
自己理由の退職の為お金が出るのは数か月先になりそうだ。
思ったより早く終ったし天気が良かったので渋谷から原宿まで散歩する事にした。


公園通りを登り、坂の上の方に行くと、右手にエスペランザという靴屋があった。
ロックンローラー御用達のカッコいいブーツが並んでいる店だ。
ここで買ったブーツに、長めのスリムジーンズの前の部分だけを縦に切ったのが当時のスタイルだ。
いわゆる先割れジーンズである。
かかとを踏んづける位ジーンズが長いので、雨が降ると下の方から染みてくる。
雨の日は、居酒屋の座敷には上がれなくなるのが弱点だ。

 

公園通りを下って、宮下公園のトンネルをくぐり、山手通りを原宿方面へと歩いてゆく。
右手にライブハウス「クロコダイル」を通り過ぎる。
高校時代、「子供バンド」を見た懐かしのライブハウスだ。
暫く歩いて行くと、やがてラフォーレ原宿前の交差点に着く。
その頃、交差点の角には燦然とセントラルアパートがあった。

原宿は懐かしい街だった。
高校が神宮前にあった俺にとっては庭の様なものだ。
高校を抜け出しては、原宿のシェイキーズに行ったものだ。
ランチタイムの食べ放題時間は、金属のお盆を持って並ぶ。
そのお盆は、お金を払った印だった。
しかし、高校生の悪ガキ達は、そのお盆を一人一人自分用に手に入れていた。
食後に返すお盆をガメていたのだ。
もう時効なので、許して下さい。
こうして昼飯を食べ、何食わぬ顔をして、午後には学校に帰るのだった。


この時代の原宿はロックの巣窟であった。
ステージ衣装を買うにも大体原宿だった。
金髪ロン毛でロンドンブーツを履いているような兄ちゃんが大勢いた。
こういう人は大抵、原宿セントラルアパートの地下で働いている。
セントラルアパートの地下には、ロック系のTシャツ屋、アクセサリー屋などがひしめき合っていた。
スプレーの落書きや、バンドのビラなどで壁一面埋め尽くされていたものだ。
金髪ロン毛の兄ちゃんは、これらの店の名物店員で、ちょっとした有名人だ。
流行最先端のファッションを担っていた。
今で言えば、有名インフルエンサーだ。
建物の真中には吹き抜けの中庭があり、コカ・コーラの丸テーブルか並んでいた。
そこで、一服するのがカッコ良かったのだ。

しかし年が経つにつれ、だんだんと店が少なくなり、半分位はシャッターが閉まっていった。
そして数年後には、再開発で取り壊される事になった。

今は再開発で綺麗なファッションの街原宿にも、こんなロックな時代があったんだよ。


ーつづくー