ディープパープル ~1985年5月 その3~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1985年、私は大学を卒業、就職、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃は新宿LのPLMと言うバンドに参加していた。
1985年 5月14日 ディープパープル
ディープパープル再結成ライブだ。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
1985年5月14日、日本武道館。
再結成したディープパープルの「パーフェクト・ストレンジャーズ・ライブ」ツアーだ。
俺はこれまでパープルを見た事がなかった。
なぜなら、高校生の時には解散して、レインボー、ホワイトスネイク、ギランに分裂していたからである。
この3バンドは既に観た。
特にレインボーは来日するたびに観に行った。
コージーパウエルが俺のアイドルだった。
シンバルを叩く時に逆に首を振るのを真似たものだ。
ロニージェームスディオは一番好きなボーカリストだった。
グラハムボネットに代わった時は少し寂しかった。
ハードロックの王道バンドで観ていないのは、ディープパープルとレッドツェッペリンだけだ。
1980年秋には、レッドツェッペリンの来日が噂された。
しかし、来日が決まる直前にボンゾが死んだ。
ショックだった。
その時は予備校に通っていて、来春に来てくれと願っていたのだが。
さて、昔は外タレのアリーナ最前列のチケットを確実にゲットする方法があった。
ネット販売とかは無い時代なので、とにかく電話をかけまくる。
しかし、全然繋がらない。
繋がった頃には、売れ残りのアリーナ後方か、1階、2階席しか手に入らない。
これが普通のやり方だ。
しかし、特別な入手方法があったのだ。
地方の方には申し訳ない。
観たい外タレの来日が発表されると、俺は毎週土曜日の朝6時に起きて朝刊を見る。
土曜日の朝刊の最終ページの一番下に外タレの広告が出るのを待つのだ。
これが整理券が出る合図である。
これを発見すると、急いで青山のウドー音楽事務所に向かう。
到着すると、もう列が出来ている。
ここで整理券が配られて、後日、乃木坂のキャバーンというレストランでチケットを販売していたのだ。
1枚の整理券で10枚チケットが買えたと思う。
さあ、武道館の話に戻ろう。
とうとう憧れのディープパープルが観れる。
来日したのは第2期の黄金メンバーだ。
リッチーブラックモア、ジョンロード、イアンペイス、ロジャーグローヴァー、イアンギランの5人だ。
1曲目は「ハイウェイ・スター」。
間奏のギターソロからキーボードソロへ。
俺はジョンロードのハモンドオルガンが大好きだ。
レスリースピーカーをゆっくりからだんだんと早回しにする。
レスリースピーカーとは、機械的にスピーカーを回転させて、コーラス効果を物理的に作る家具調の箱だ。
俺は実物をVOWWOWの厚見玲衣さんから見せてもらった事かある。
本当に家具調の箱の中でモーターによりスピーカーが回転していた。
ドップラー効果みたいなものだ。
スライダーで回転数を変えられる様になっている。
早回しにすると、ヒューからヒューイーンと音が変わる。
ジョンロードはハモンドオルガンを揺らしまくる。
倒れないかと心配になるほどだ。
リッチーブラックモアは相変わらず黒魔術師だ。
黒のピチッとしたパンタロンがお決まりだ。
リトルイアンは堅実に叩きまくる。
相変わらずロールが速い。
ボンゾがいない今は、間違いなくワンバスドラマーではナンバーワンだ。
ロジャーグローヴァーとの相性も良い。
イアンギランは「チャイルド・イン・タイム」で本領発揮していた。
得意の高音シャウトが炸裂する。
とにかく、大満足のライブだった。
やっぱ、武道館は良いよね。
ーつづくー