或る日の新宿L ~1985年5月 その2~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1985年、私は大学を卒業、就職、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃は新宿LのPLMと言うバンドに参加していた。
1985年 5月11日 04:00~ 新宿L練習
5月12日 04:00~ 新宿L練習
夜中に練習していると、見たことのない奴が楽屋で寝ている。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
前回の続きで、この頃新宿Lに来ていたバンドの話をしよう。
「ダイヤモンド」で売れたPPは、その前のバンド名をAKと言っていた。
AKの時代には、何度か新宿Lのパブタイムに来ていた。
新宿Lに出入りする友人が、AKのギターのK子と親しかったためだ。
ギターのK子は、1人でもひよっこり現れた。
もともとAKはオーディションで生まれたバンドだ。
ガールズバンドというより、楽器の出来るアイドルという扱いだった。
その頃は全然売れてなくて、地方のスーパーの広場でドサ周りをやっていた。
ギターのK子だけがロック姉ちゃんで、他のメンバーはアイドル風だった。
そんな時、テレビアニメの主題歌をやる事になった。
テレビ東京の「コアラボーイコッキィ」である。
全国ネットではないが、初めてのテレビ放映に、皆喜んでいた。
しかし、ドラムのKピーは不満をぶちまける。
レコーディングでドラムを叩かせてもらえず、機械の打ち込みになったらしい。
もっと練習して上手くなりたいと燃えていた。
「コアラボーイコッキィ」は、元安全バンドの長沢ヒロさんの楽曲だ。
その繋がりで、元安全バンドのTまこっちゃんの出入りする新宿Lに来ていたのかもしれない。
そして後日、新曲「コアラボーイコッキィ」のお披露目が新宿ルイードで開催。
バックステージパスを貰っていたので、新宿Lの飲み仲間と見に行った。
1984年の秋だったと思う。
俺は友人達と新宿ルイードに向かった。
ルイードは新宿駅にほど近いカワノビルの4Fにあった。
エレベーターを降りると、送り主の名前が書いてある花が並んでいた。
まるでパチンコ屋の新装開店だ。
中に入り、開演を待つ。
目立たぬ様に、上手の後ろの方に陣取った。
一般人より業界人の方が多く見受けられる。
立ち見で、ほぼ小屋は埋まっていた。
メンバーが出てきて演奏が始まった。
全く予習していなかった俺は、AKの曲を1曲も知らなかった。
アイドル調のポップな曲が続いた。
K子だけがロック風に膝の下でギターを弾いている。
終盤になって、いよいよ新曲「コアラボーイコッキィ」の紹介が始まった。
もちろん「コッキィ」の着ぐるみも風船を持って登場だ。
テレビ東京毎週何曜日何時からのテレビのアニメの主題歌なので見てねと宣伝する。
きっと、テレビ関係者も来ていて番宣させられたのだろう。
いよいよ曲が始まった。
あまりに、衝撃的だったので、今でも口ずさむ事が出来る。
♪アイアム コッキィ 出逢えてラッキィ
♪コアラボーイコツキィ 明日もハッピィ
(コアラボーイコツキィの部分はハモル)
ライブが終わると、AKのメンバーは出口に並んで、握手してお客を送り出す。
俺達は遠くから手を振って会場を後にした。
この後、AKは事務所を変わり、バンド名はPPとなった。
路線変更して本当に良かったね。
新宿Lでの飲み会でも、アイドル路線にグチをこぼしていたのだ。
数年後、インクスティック芝浦ファクトリーの公演にも、バックステージパスで入れてくれた。
ドラムのKピーはドラムソロを披露してくれた。
彼女達は、もう立派なガールズバンドになっていた。
ーつづくー