好きなバンド ~1985年6月 その6~
新型コロナのため家にいる時間が多くなった。
やることも無いので部屋の整理をしていると・・・
昔の手帳が出てきた。
1985年から2010年まで。
あの頃はスマホどころか、ガラケーも無い時代で、予定は手書きで手帳に書いていたのだ。
2010年以降はきっと携帯に予定を打ち込んだためにないのであろう。
さて、ちょっとだけ手帳のなかを覗いてみるか。
1985年、私は大学を卒業、就職、それと同時に新宿でバンド活動をしていたのだ。
この頃は新宿ロフトの店員バンドPLMに参加していた。
1985年 6月8日 〇
6月9日 〇
毎週土日に練習している。
ん?あああ思い出した。時を戻そう。
今回は、俺の好きな日本のバンドの話をしよう。
NOIZだ。
1977年、カルメンマキ&オズは解散した。
その後、次の活動のために春日博文、川上茂幸は新人ボーカリストを探していた。
うちの嫁さんは、このオーディションに参加した事があった。
青山のビクタースタジオ池尻大橋のポリドールスタジオ(2020.8.15訂正)でのオーディションの話は昔からよく聞いていた。
この時のドラムはチャッピーさんだったらしい。
嫁は、九州のヤマハのコンテストでカルメンマキ&オズのコピーバンドで優勝した事もある。
ギターは、大分県豊後高田の青年、KKだった。
嫁はオーディションに勝ち残り、次のスタジオの話までこぎ着けた。
この話がポシャラなかったら、NOIZは女性ボーカルバンドになっていたかもしれない。
結局その後、ボーカルは人見元基さんになった。
NOIZは1981年にライブ活動を開始し、1983年にはアルバムをリリースする。
レコーデイングメンバーはギター春日博文 、ベース川上茂幸 、ボーカル人見元基、ドラム火乃玉男。
しかし、このアルバム1枚だけで約1年後に解散した。
邦楽ファンには是非とも聞いて欲しいアルバムの1つだ。
後に、新生VOWWOWに参加する人見元基の高音シャウト。
1曲目の「シャイニング」から本領発揮だ。
グルーブしたバックの演奏。
俺は川上シゲさんのうねってブイブイいうベースが大好きだ。
すぐに解散してしまったのが惜しい。
新宿ロフトにも1982年に2回、1983年に2回出演しているが、俺はギリギリ生で見ていない。
俺が新宿ロフトに入り浸っていたのは1984年頃からで、ちょうどNOIZ解散後であったからだ。
しかし、テープは持っていた。
新宿ロフトにあったレコードをダビングしてもらったのだろう。
お気に入りで、テープが伸びるほど聞いたものだ。
NOIZのメンバーで会った事があるのは、人見元基さんと川上茂幸さんの2人だ。
人見元基さんと知り合ったのは、新生VOWWOWに加入した時だった。
新宿ロフトでの初ライブを見た。
その声は、NOIZ時代より力強く感じた。
高音のシャウトが、ハードロックサウンドに合っていたのだろう。
ライブ後、ベースのキンさんの伝手で打ち上げに参加した。
この時、山本恭二さん、斉藤光浩さん、新美俊宏さん、厚見玲衣さんを紹介された。
山本恭二さんは1人だけワインを飲んでいた。
バウワウを始めた時、恭二さんが、新美さんにドラムを叩いて教えた話を覚えている。
確かオープンハイハットでジャージャー叩くと、ハードロックになるんだ、とか言っていたような。
メンバーが皆帰った後も、キンさんは残ってくれた。
この頃は坊主頭にしていたが、坊主頭を触らせてくれた。
その次の渋谷公会堂でのお披露目コンサートもバックステージパスで見せてもらった。
川上茂幸さんと知り合ったのは、LISA’Sの頃だった。
1988年11月1日。手帳に記録がある。
新宿ロフトでのライブだ。
ボーカルはリサさんで、ドラムはチャッピーさんだった。
相変わらずのうねりベースが聞けたが、女性ボーカルのせいかポップに感じた。
この後、タイフーンナタリにバンド名を変えたのだと思う。
ロフトの店員Nの紹介で、新宿ロフトでの打ち上げにも参加した。
川上茂幸さんは、最後まで残っていたので、NOIZ時代の話も聞いた。
NOIZ再結成とか、リマスターのCDの話も出ているらしい。
早速、俺も買う事にしよう。
ーつづくー